大事な会話は「指」で覚える

目次

プロフィール
松林 薫
1973年、広島市生まれ。ジャーナリスト。京都大学経済学部卒、同大学院経済学研究科修了。1999年、日本経済新聞社入社。経済学、金融・証券、社会保障、エネルギー、財界などを担当。2014年退社し株式会社報道イノベーション研究所を設立。2019年より社会情報大学院大学客員教授。著書に『新聞の正しい読み方』(NTT出版)、『「ポスト真実」時代のネットニュースの読み方』(晶文社)、『迷わず書ける記者式文章術』(慶應義塾大学出版会)。

前回はメモの取り方について説明しましたが、実は記者の場合、メモやICレコーダーを使えない取材があります。それがオフレコ(オフ・ザ・レコード)で、「会話の内容を記録しない」と約束した上で話を聞くのが決まり。実はニュースを追っている記者にとって、日々の取材の3分の1から半分くらいはこうしたオフレコで、相手がしゃべった言葉や数字をその場で覚えなければならないのです。

一般のビジネスパーソンも、似たような場面を経験しているかもしれません。記録を取ると多くの人は身構えてしまうので、ざっくばらんに本音を聞きたい時はメモや録音をしないのが普通だからです。ただ、聞いたことをすぐに忘れてしまう人も多いはず。記者たちは、一体どうやって取材先とのやり取りを記憶しているのでしょう。

記憶にタグをつける

この連載で何度か取り上げた「夜回り・朝回り(夜討ち・朝駆け)」は、原則としてオフレコ取材になります。相手の勤め先を避けて自宅の前で会うのですから、そもそも取材したこと自体が秘密。だから記録も残しません。しかし、たとえ10分、15分の立ち話でも内容を覚えるのは大変です。筆者も初めて夜回りに行った時は、相手の口からぽんぽん飛び出てくる数字や専門用語が覚えられず、パニックになりました。

皆さんも似たような経験がないでしょうか。例えば、OB・OG訪問をしている大学の後輩と喫茶店で会うとします。この場合、採用面接ではないのでメモを取りながら話を聞くのは少し不自然でしょう。一方で、会話の内容や相手の印象などを上司に報告する必要はあります。ところが、話は盛り上がったのに、いざ何を話したか思い出そうとすると出てこない。「何か重要なことを聞いた覚えはあるんだけど……」と焦りだけが募るわけです。

こうした記憶力の弱さは、現代人の特徴かもしれません。筆者が子どもの頃、テープレコーダーやマイクは今の感覚からすると巨大でした。スマホやICレコーダーのようにポケットに入れて持ち運べるような代物ではなかったのです。だから出先で誰かとの会話を記録しようと思えば、せいぜいメモを取るくらい。それでも記録ができるだけまだマシで、江戸時代以前の紙や筆記用具が貴重だった時代には、メモ帳だって気軽には使えなかったはずです。

裏返せば、昔の人は大抵のことを頭に入れていました。そういう時代には「記憶術」は生きていく上で必須のスキルだったはずです。だから一般の人でも、どうすれば大事なことを覚えていられるか、コツを知っていました。スマホを持ち歩く私たちは、何でもその場で記録できるようになった代償として、そうした知恵を失ってしまったわけです。

例えば、古代ギリシャ時代から知られている「記憶の宮殿」もそうした技術の一つ。人間を含む動物の脳が、「場所」を覚えるのが得意な性質を利用します。野生動物は餌のあるところや天敵が潜んでいる危険地帯を覚えていなければ生きていけません。このため、空間を把握する力が発達したのだと考えられています。現代人の脳にもそうした能力が残っているので、覚えておきたいことと「場所」を結びつければ、記憶しやすくなるのです。

具体的には、自分の家の間取りを思い浮かべ、「玄関」「キッチン」「本棚」など10カ所程度を選びます。そして、覚えたいことを想像上の「玄関」や「キッチン」などに置いていくのです。スーパーに行く際に買い物リストを覚えるなら、「ニンジンが玄関に落ちている」「牛乳はキッチンの電子レンジの上に置いてある」といったイメージに変換するわけです。思い出すときは、家の中を見て回るように、順番に品物を確認していきます。慣れるには少し練習が必要ですが、やってみると確かに思い出しやすいことがわかるはずです。

これと似た方法で記者がよく使うのは、「指に覚えさせる」という技です。親指、人差し指、中指……と、それぞれの指に覚えるべきことを割り当てていくのです。例えば、先のOB・OG訪問で言えば、重要な話が出てくるたびに指を折っていきます。「サークルでの失敗談は右手の親指」「卒論のテーマは右手の人差し指」……といった感じです。

この方法の強みは、記憶を辿る際に「思い出すべき重要な話が、あといくつ残っているか」が分かる点にあります。例えば、親指と中指に割り当てた話が思い出せるのに、人差し指の分が思い出せないとしましょう。この場合、「二つの話の間に何を聞いたかな」と時系列で記憶をさかのぼることができます。このように記憶したことに「タグ付け」をしておくと、後で再現しやすいのです。

「第三者の目」で観察

こうしたテクニックに加えて重要なのが心構え。会話に没頭せず、自分と相手を「第三者の視点」から冷静に観察します。これは「記憶の宮殿」や「指の記憶」にも共通しますが、一般に人間は単なる「言葉」より「イメージ(映像)」を覚えるのが得意です。相手の言葉だけ覚えようとするとうまくいかない場合でも、口調や表情などのイメージと結びつけると、後で記憶を再生しやすくなるのです。

と言っても、慣れないうちは話すのが精一杯で、観察する余裕などないかもしれません。その場合は、後で相手の「モノマネ」をするつもりで眺めてみましょう。モノマネは、相手の特徴を捉え、少しデフォルメして再現する技術です。普通の人が見逃しているちょっとした癖を見つけて再現してみせると、仮に顔や体格は似ていなくても本人に見えてくるものです。こうした特徴を捉えようと意識すれば、自然に相手を客観的に見られるようになります。

実は、オフレコの内容を細かく覚えている記者は、モノマネが得意な傾向があります。夜回りから帰ってくると、同僚の前でどんなやり取りをしたか、相手の手振りや口癖も真似ながら会話を再現してみせるのです。最初はふざけているだけだと思っていましたが、やがてそれが記憶術の極意なのだと気付きました。いわば、自分自身に相手をコピーしているのです。

まとめ

以上のような技を用いると、会話を覚える力は格段にアップします。また、相手の言葉だけでなく、癖や態度など、それ以外の重要情報にも目配りができるようになるでしょう。ただし、場数を踏んで慣れることが必要なのは言うまでもありません。また、前回のメモの取り方でも説明した通り、相手が話す言葉を全て覚えようとするのではなく、「覚える必要がある部分」を取捨選択しながら聞くことが重要です。

また、こうした記憶は時間がたつほど急速に薄れていくものです。相手と別れたら、なるべく早く指を折りながら記憶を掘り起こし、キーワードだけでもメモに書き出すことをお勧めします。記憶を辿る糸口になる「タグ」さえあれば、その前後に聞いた内容は芋づる式に思い出せるものだからです。