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歴史上の人物に学ぶ、採用の極意シリーズPART7 徳川家康 編

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300年にもわたる太平の世を築き上げた戦国の覇者、家康。その生き様は決して華やかなものではなく、苦労に苦労をかさねたといわれています。その人生や考え方から、私たちが学ぶべきことを考えてみましょう。

苦労の天下人、徳川家康

徳川家康の性格を表す言葉として最も有名なのは、何といってもあの「ホトトギス」の句ではないでしょうか。幼い頃から今川家に人質として取られており一国の将としての扱いを受けられなかった家康。信長が義元を打ち倒してからは三河に戻ることが許されたものの、天下人としての道は常に信長や秀吉に遅れを取っていました。

しかし、こうした恵まれない環境が、最終的には戦国の覇者となる家康のメンタリティを鍛えたことは皆さんもご存じのとおりです。ただ我慢強く耐え忍ぶだけでなく、自身が恵まれないからこそ家臣に対しても気を使い、のちの江戸幕府の礎となるような強大な組織を築き上げることができたのです。

ほかの武将とは真逆?家康の家臣マネジメント術

幼い頃から苦労を続けてきた家康が日頃から心がけていたのは「部下の心をマネジメントする」ということでした。戦国時代というと、信長のようなワンマン政治や、決して上のいうことには逆らわない封建社会を思い浮かべがちですが、家康のとった政策は全く逆。家臣の要望や発言に普段から目を向け、家臣の心を細やかにフォローするというものでした。

なかでも特徴的だったのは、家臣の意見を必ず最後まで聞いたということです。例えば、家臣が何か進言した場合、トップに立つ家康がそれを無下に否定したり聞く耳を持たなかったりすると、ほかの家臣までが萎縮し自分の意見をいわなくなってしまうでしょう。それでは家臣の有益なアイデアの芽をつんでしまうことになると考えた家康は、どんなときでも家臣の言葉を最後まで聞くことを心がけていました。

三河譜代という言葉に表れているように、徳川家の家臣は先祖からずっと家臣であった忠義ものが多く、結束が強かったのが特徴。幼い頃から環境には恵まれなかったものの、よい部下が自然と集まっていたのはこうした家康のマネジメントがあったからかもしれません。

組織マネジメントの集大成、江戸幕府

家康による組織マネジメントの集大成といえば、江戸幕府をおいてほかにはないでしょう。大阪や堺といった商業の中心だけでなく佐渡の金山のような重要拠点も押さえ、日本全国の大名を従わせる仕組みをつくった知恵はずる賢いともいえるほどです。

ここでも、家康の「部下を大切にする」というマネジメントの一端が見て取れます。関ヶ原の合戦で石田三成を撃破した家康は、前田家や島津家、伊達家といった実力者を外様大名として辺境の地におき、代わりにもともとの家臣であった譜代大名は関東近郊や京都、大坂、東海道沿いなど、戦略的に重要な土地におきました。

家臣によって差別するというと聞こえは悪く、現代の会社組織ではなかなかこういった採用活動は難しいかもしれません。しかし、現在の会社組織においても、中途採用した社員を重用する際には、その役職や待遇に一定の配慮が必要になる場面も少なくありません。関ヶ原の合戦後に部下となった大名と、もともと家臣であった大名を同列に扱っていたのでは、不満の芽がでることは目に見えているでしょう。こうした、より「腹心に近い」家臣の心を汲み取り、大切にすることで、その後の長期政権を実現する江戸幕府の礎が築かれていったのです。

部下の心を大切にするマネジメントが、息の長い組織を作り上げる

幼い頃から決して恵まれた環境にはなく、苦労しながら江戸幕府という巨大な組織を作り上げていった家康。幕府がその後300年にもわたって太平の世を治め続けたのは決して偶然ではなく、人の心を大切にし、新しく家臣を迎え入れる際には、中途採用される大名(社員)だけでなく譜代大名(既存社員)に対しても細やかなフォローやマネジメントを行っていたからこそといえるでしょう。江戸幕府のような、強固で息の長い組織を作り上げたいと考えている採用担当者のみなさんは、家康のマネジメント術を参考にした採用活動を行ってみてはいかがでしょうか。

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