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歴史上の人物に学ぶ、採用の極意シリーズ
PART2 力道山 編

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【温故知新】歴史上の人物に学ぶ、採用の極意シリーズその2-力道山編_w800h450

戦後日本のスポーツ界に、プロレスというジャンルで燦然たる火を灯し、テレビ普及のきっかけにもなった力道山。そんな力道山の代表的な弟子といえば、アントニオ猪木・ジャイアント馬場の二人です。
その二人に対する力道山の姿勢は、採用から育成に至るまで全く別物だったということはプロレスファンの間では有名です。
かたや、ブラジルでスカウトされ、一発合格となった猪木。かたや、プロ野球選手の夢やぶれ、志願して弟子入りした馬場。彼らに対する力道山の仕打ちは、同じく厳しいトレーニングでありながら、大きく差がつけられたのでした。

同期の二人

サンパウロで猪木をスカウトしたと言われる力道山の最初の言葉は「オイ、裸になれ」。

背中の筋肉を見て一発合格だったといいます。貧しいなかブラジルへ渡り、コーヒー農園で重労働をして目覚めた猪木の肉体と反骨精神。(プロレス正史より) それらを見ぬいた力道山にとって、採用に必要な言葉は「オイ、裸になれ」一言で充分だったのでしょう。
説明会、書類審査〜三次面接、内定、云々といったプロセスをすべてすっとばした究極の採用活動と言えます。力道山にとって、直感こそが最大の採用の極意だったのかもしれません。

一方の馬場は、恵まれすぎた体格に幼少時からコンプレックスを持ちつつも、読売ジャイアンツに所属していたピッチャー。一軍に定着できず、風呂場で転倒したことから、野球選手としての限界を感じ、レスラー転向を決意。猪木を連れて帰った力道山に直訴し、弟子入りを認められます。馬場22歳、猪木17歳の時期でした。

猪木と馬場への扱いの違い

新弟子二人の練習は厳しいものに違いありませんが、その扱いには大きな違いがありました。馬場は自宅通勤が認められた上に給料が支払われ、猪木は無給で力道山の付き人として徹底的にしごかれます。猪木に対する厳しさは、猪木をして力道山を殺してしまおうかと思うほどであったと言います。

いわく、走行中の自動車から突き落とされた。クルーザーに乗せてもらい、海の真ん中で「寛至(猪木の本名)、降りろ」と言われ、「先生、ここはマズイです」と言っても「うるせえ、降りろ」と言われ、東京まで一時間半泳いで帰った。力道山の飼い犬を番犬として躾ける際の実験台にされていた。などなど、枚挙に暇がありません。

一方の馬場は、一度も殴られたことがないといいます。自らも北朝鮮からの移民であった力道山は、移民ギミックの猪木に対して特別な感情があったのかもしれません。焼け跡の残る混沌の時代において、期待と怒りが表裏一体となり、愛憎の混ざった激しい感情が、力道山をして猪木にそこまでのしごきを与えたのかもしれません。

しかし、その後この二人が押しも押されぬ大スターになったのは誰もが知る通りです。結果からすれば、志半ばで亡くなったとはいえ力道山の方針は正しかったと言わざるを得ません。

私生活では仲のよかったライバル二人

私生活ではお金のない時代、二人でラーメンを分けあったとも言われるほど仲がよかったと言われる猪木と馬場。力道山は、猪木の馬場に対する尊敬やライバル感情を巧みに使ったのかもしれません。
また、そこには当然、力道山自身の感情も絡まり、強力なエネルギーの連鎖が、戦後日本の復興を後押しするエンターテイメントを作り上げたのでしょう。志半ばで凶刃に斃れた力道山。その本音はもう誰にも聞き出すことはできませんが、猪木と馬場の言葉の中に、そのヒントはあります。

猪木「もし力道山のプロレスの遺伝子があるとすれば、それは明らかにジャイアント馬場ではなく、この私に受け継がれている。ふたりのプロレスを見比べればわかるだろう。力道山を『力さん』と呼び『一回も殴られたことがない』というのが自慢の馬場が受け継いだのは、あの葉巻だけだ」

馬場「成り行きと言うと無責任なイメージを持つけどこれほど強いものはない。つまり、自然の流れに逆らわずに正直に生きるってこと」
「僕にとってプロレスとはって言われたって、『商売です』としか言いようがない」

なんともライバル心むき出しな猪木に対し、対照的に泰然たる馬場。これらが、まさに二人の「個性」であり、「持ち味」と言えます。弟子の本質を見抜いていた力道山が、それに合わせた育成方法を取った結果と言えるのではないでしょうか。

力道山に学ぶ、部下のタイプを見据えた育成

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力道山が、どこまでを見越して二人を全く違う育て方をしたのかは誰にもわかりません。ひとつ、ヒントになるのが、力道山は人心掌握術の天才でもあったという説です。これだけの暴虐を部下や弟子に振るっていては、本来ならすぐに反感を買い、リーダーとして君臨することはできないでしょう。

練習中に部下をひっぱたいたり、しごいた後には、皆を連れて飲みに行き、しこりが残らないようにしたりしたそうです。また後援者が主催する宴会では弟子にビール瓶まで噛み砕かせたり、外人レスラーに坂道で大型トラックのロープを噛んで引っ張らせたりと、パフォーマンスの天才でありました。

つまり、採用、育成、プロモーションに至るまで、激しい時代を様々なマネジメントで乗り切った、合理主義者であったとも言えるのです。

採用の現場においても、直感で決めた猪木のようなタイプか、志願してきたフィジカルエリート・馬場のようなタイプか。また、彼らのようなタイプに対しどのような育て方をするのがベストなのか。
もちろん、猪木に対して行われたようなしごきが通用する時代ではありませんが、現代においても、的確に素質を見極めて公平にとはほど遠い育成方法を施した力道山に学ぶところは多いでしょう。

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